お茶に関する情報
お茶の歴史
■宇治茶について
日本茶の起源
栄西禅師像 建仁寺蔵
喫茶養生記
宇治茶の歴史
宇治茶の歴史は、鎌倉時代に海住山寺(現在の加茂町瓶原)にいた高僧「慈心上人」が、 茶業興隆の祖される「栂尾の明恵上人」より茶の種子の分与を受け、 鷲峯山麓に栽培したのが始まりと言われています。
その後、元文3年(1738年)に和束の隣である宇治田原の永谷宗円が「青製煎茶」の製造法を考案し、 和束が煎茶の特産地として発展しました。この頃から茶栽培が増加し、 江戸時代中期には茶保護政策により、当地方の茶業は一層の進歩を遂げたのです。
太平洋戦争中は極度の食糧・肥料不足で転作を余儀なくされ、 生産量が激減しましたが、戦後、国土の回復により茶価の高騰が増産欲を助長し、 今日のような茶産地となり、「お茶は和束・南山城」と言われる銘茶となったのです。
和束・南山城茶は、味と香り、水色(すいしょく)が良く、 渋みが少なく甘みと爽快感がある良質茶とされており、多くの品評会等で高い評価を受けています。
宇治茶の定義について
現在、日本で消費されている緑茶のうち、宇治茶の生産量は全体の3%程度です。 その割には、市販されているお茶には宇治茶と表示されているものがたくさんあります。 なぜでしょう? その理由は、生産地がどこであれ、宇治茶がすこしでもブレンドされていれば、そのように表示しているからです。もっとすごい話では、京都で袋詰めされれば、宇治茶と表示しているものもあるとのことです。 昨今の牛肉等の産地偽表示などで宇治茶についても産地の表示について、議論されるようにはなってきました。しかし、現時点で、お茶は、法的には産地表示の必要はありません。ですので、このこと自体が違法というわけではありません。 しかし、僕たち生産者にしてみれば、悲しい話です。 せっかく、こだわりをもって、作ったお茶が、ほかの産地のお茶を大量にブレンドされ、すっかり違うものになっているのに、皆様の元に「宇治茶」として届けられるのですから・・・。 |
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近年、産地表示についての議論の高まりをうけて、平成16年3月に「宇治茶」の産地表示を「京都・奈良・滋賀・三重の4府県産のお茶を京都府内で加工したもの」とする自主基準を京都府茶業会議所が決めました。 しかしながら、京都府内で生産された茶葉の不足などを理由に「正式な決定には至らなかった」とのことです。 この基準が作られる際に、関係者の皆さまは、非常に苦心されたことと思われます。ですので、規準について、僕たちからいえることはありません。 ただ、宇治茶を届ける側の現実と、宇治茶を飲まれる消費者の皆様との間にある「みぞ」が、少しでも埋まればいいなと、心から思います。 |