トップ>情報>僕たちの仲間>竹尾享(たけおすすむ)さん
■日本一の急須屋さん丸栄竹尾商店の次世代をになう
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■竹尾 享さんは、僕たちと同世代 |
現場で陣頭指揮をとる享さん |
日本一の急須屋さん、丸栄竹尾商店の現場で陣頭指揮をとっている竹尾享さん。 僕らとおなじ年代の昭和48年生まれです。
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「丸栄竹尾商店で扱っている急須は、お茶を淹れる道具。芸術品ではない。」と言いきる享さん。 「『家庭の日常のなかで、 これを追求するのが、自分たちの使命。誰が使うのかもわからないような芸術作品は、ほかの人にまかせる。 お茶の道具は、ともすると「誰が作った?」とか「いつ作られた?」といったことが重視されてしまう。そんななかで、家庭で毎日つかう道具としての急須を取りあつかうのが自分たち」という、享さん。 |
こんな急須もあるのです。 |
■マクドナルドで学んだお客さまを楽しませるよろこび |
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享さんは、大学卒業後、在学中からアルバイトしていたマクドナルドに就職。 当時のマクドナルドは、創業者でだった故 藤田 田(フジタ デン)社長が率い、破竹の勢いで全国に支店を増やしていました。 軽い気持ちではじめたマクドバイトでしたが、その軽いノリの裏側にある、世界最高水準の商品や店舗のマネジメント方法、接客や調理法に関するマニュアルの完成度の高さは、享さんを魅了しました。 緻密なマニュアルやマネジメントの中にありながら、能力のある社員やアルバイトには、多くの裁量が与えられ、享さんは、いかんなくその才能を発揮してゆきます。 出店したばかりの新店を軌道に乗せるために48時間ぶっ続けに働いたり、新商品であったマックプレミアムコーヒーの導入にたずさわったりしながら、最後は、店長代理となり、マクドナルドを離れます。 |
■そして、急須屋として |
竹尾享さん(右)と創業者の栄さん(左) |
そして現在、長男として実家にもどり、家業である急須屋の現場にて陣頭指揮をしています。 マクドナルドで働いているときもいつかは実家に戻る日がくると思っていたそうです。 世界最先端の接客業の現場から、古い伝統やしきたりが残る焼き物の業界。そこには大きなギャップがあったにちがいありません。享さんは、次のように語ってくれました。 |
「今、日本の焼き物業界は、中国やベトナムなどの新興勢力に押されている。品質を抜きした価格だけを考えれば、それらのいきおいに太刀打ちできないのが現状だ。 しかし、自分たちは、産地にねざした陶器問屋でありたい。国産の焼き物、そして地元産地の焼き物にこれからもこだわってゆきたい。 自分たちは、産地とともに生き残り、成長する道を考える。自分たちには、技術も知恵も情熱もある。だから必ず勝算はある。 それらを命がけで活用して、だめなんだったら、そのときは、もう仕方がないと思う。 ただ、ここでやれることをやりきらないで、産地を捨てて、自分たちだけ生き残ったところで、いったいどんな意味があるのだろうか・・・。」 ここにも産地にこだわるアツい人がいました。 |
国産の急須の話になると、熱がこもる |
■好きなこと・興味のあること |
コミック版のバットマン |
そんな享さんのオフは、料理を作ること、アメリカンコミックの収集、バイクの改造などなど、多彩♪ 高校時代、写真部兼地学部で部長までつとめたので、写真の腕前もプロ級。(会社のカタログには自身が撮影した写真もあるそうです。) 高校時代の地学部では、顧問の先生と、地球にふる「宇宙塵(うちゅうじん)」の研究をしていたそうです。 |
取材の最後に行ったのは、名古屋駅にほど近い享さん行きつけのアイリッシュパブ「peat」。 そこで飲んだ、ギネスビールのやわらかい味わいは、とてもおいしかったです。そこには、限られたギネスビールにしか許されない、フォーリーブズシャムロック(ビールの泡に描かれた四つ葉のクローバーのもよう)が浮かんでいました。 |
急須屋さんのオフ姿! アイリッシュパブ ピートにて |
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